正定事件 資料

ルーアン及びル・アーヴル教会報 1938.02.26

出典:フランス国立図書館デジタル・アーカイヴ
原典

該当部分資料

 

[該当部分資料 p.186-7行目以降の和訳]

...最近そのお方は親族の人たちに、そのお方の死後、そのお方の為に、<哀れみのみ母>の像の前に集まりそのお方のために<アヴェ・マリア>を唱えるように頼まなかったか? 神様が迎えに来られた時、Emmanuel Robiel神父の心情はその様なものであった。
  貴方がたはそれ以外のことはご存じである。昨年の夏の終りに、支那北部に恐ろしい戦争が勃発した。Emmanuel神父は三人の同僚と共に正定のラザロ会施設に避難されそこでSchraven司教からこの上無く真心の籠ったもてなしを受けた。...平静と信頼とを取り戻した瞬間に、疑いも無く朝鮮人又は満洲国人から成る、武装して威嚇する遊撃隊が突然出現し、夜陰に乗じ、Schraven司教、その配下の六人の宣教師達、Emmanuel神父、非聖職者一人の両手を縛り、目隠しして連れ去った。...
  11月12日になって、その宣教施設の使用人達はその町の近くにある木造の高塔の近くで、幾つかの焼かれた遺骸、布切れ、おメダイ、三個のお数珠という貴重な遺物を発見し、翌日それらは確認の上尊敬を込めて回収された。連れ去られた大切な方々の運命について人々が持ち続けていた最後の望みはこんな形で崩れ去った。...
  その方々の終末を覆っている謎が未だ完全に解けなくても、その方々はとり乱すことなく死を受け入れられたと断言するのは軽率であろうか? その方々は身を生け贄として献げる時に、互いに最後の赦しを与え合い、わが主と同じく死刑執行人達を赦し、自分たちの血をキリスト信仰の種子とされるように神様に願い、進んで聖人に相応しく高貴な魂を神様の御手に委ねるのが、誰の目に見えないと言うのか?...
  間も無く大日本帝国は正定の施設の門前に慰霊碑を建立するであろう。それには疑いも無く次の碑文が彫り込まれるであろう:これら栄光に溢れる犠牲者達を記念するために至高な崇敬を。その方々のお名前は切り離されることなく一体となって、私達の心の中に永遠に生き続けることであろう、と:

     <In memoriam victimarum, die 9 octobr. mortuarum…
      Vitam suam posuerunt pro ovibus suis.
      A Deo mercedem receperunt.>

  その心を揺さぶる簡潔さによって、碑文はその方々の奉献を永遠に記憶されるものとするだろう。未来の世代に、その方々が命を投げ出して<託された子羊達>に献身されたことを思い起こさせるであろう。その碑文は畢竟、その方々が神様を雄々しく愛し、お仕えした後で、永遠の報酬として既に受け取られた優しくも揺るぎない希望—我々の希望—を表すものであろう。...

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