[言論、表現、芸術の自由]の呼び声はどこに?
 Atsuko Lenarz
(ドイツ Offenbach am Main 在住)
2015.03.09
 

初めに

  クリスマスや新年の余韻が町中にまだ漂っていた今年の1月7日、イスラム教の預言者ムハンマドの風刺画を発表したパリのシャルリー・エブド社がイスラム教過激派のテロリストに襲撃され、風刺画家や駆けつけた警官を含めて12人が殺されるという大惨事が起きた。ついで市内のユダヤ教食料品店に乱入して人質を殺害した3人の犯人は警察特殊部隊に射殺され、漸く事件は落着した。世界中に衝撃を与えたこの大事件については詳細な経過が連日、克明に報道され、これを機に各国はテロ対策を今まで以上に真剣に討議し、団結して協力体制を取ろうと約束し合った。事件後の1月11日、パリ市内では370万人余の市民がテロに屈しないという決意の下に集まり、宗教、思想、人種の差を超えて自由を守るためのデモ行進を行った。この日はヨーロッパ各国の政府代表者もパリに集まり、さらに日頃は激しく対立し合うイスラエルやパレスティナの代表者までもが揃ってデモに参加したために大いに話題にもなった。パリに呼応してフランス各地でも約200万人が参加して稀に見る大掛かりなデモが行われた。デモの参加者が一致団結して声高に叫んだのは「言論・表現・芸術の自由」と「寛容」である。これが健全な民主主義社会の精神を維持するための基本条件であるのは自明のことである。
  しかし筆者は「言論・表現・芸術の自由」と「寛容」の語を高々と掲げて誇らしげに町中を行進した人々や、これを絶賛した報道陣の姿勢には大きな心理的違和感を覚えたのである。今回の惨事は、[言論・表現・芸術の自由]を口実に、責任感と他者への思いやりや配慮の精神を完全に喪失した自由過剰な欧米社会の奢りと、自己の宗教を絶対視するイスラム教諸国の社会論理が全面衝突した結果、起こった悲劇であったと思えてならない。
  政治を風刺する小話しなどが市民にとって束の間の笑いの一時であった旧共産主義諸国では、言論の自由の重みと尊さは計り知れないものであった。それに対して「言論・表現・芸術の自由」などは空気や水にも等しいほどの欧米社会では今や全てが自由化され、言いたい放題、書きたい放題という無責任な自由が横行しているのが現状である。そんな訳でパリのノートルダム大聖堂の前に立ち並び「私たちは皆シャルリー・エブド!」(Nous sommes tous Charlie“ )の看板を掲げた人々を見た時に、これは[自由]のかけ声に浮かれて呼応しただけの無責任集団に過ぎないのではないか、という印象を受けざるをえなかった。


「言論・表現・芸術の自由」を巡る独、仏の反応

  しかし「全てが許される」式の過剰なまでの自由社会にも数年前から微妙な陰りがさしていたことは否定できない。その発端は2005年9月にデンマークの新聞が預言者ムハンマドの姿を面白可笑しく諷刺した絵を掲載した時のことである。これを知ったイスラム教諸国は駐在大使を通じて直ちに風刺画の掲載を中止するように同国の政府に要望したが、「言論と表現の自由」を楯に完全に一蹴された。当時はドイツでも欧米流の自由を擁護する論調が圧倒多数を占め、抗議の声を上げたイスラム教徒を「自由を知らない時代遅れな連中」として蔑視する風潮が濃厚であった。宗教に絡む言論や芸術の自由に関して欧米とイスラム社会との認識のズレが争いの原点であることを指摘する声は皆無であった。日頃は異文化、他宗教との対話・交流の重要性を唱えていたはずの欧米社会は、諷刺画に憤ったイスラム教徒の抗議を極めて冷たく無視したのである。諷刺画家自身も「自分にとって神聖な物は一切存在しない。」と断言し、宗教的な畏敬の念など全く持ち合わせていない姿勢を露骨に示した。
  デンマーク駐在のイスラム教諸国の大使による再三の要望も無視されたために翌2006年、ついに激怒した群衆が各地で同国大使館を襲撃し、殺傷事件までも起こしたことは人々の記憶に強く残っている。この事件を通じて欧米社会ではイスラム教とその信徒に対する不信感と恐怖感が徹底的になり、特にドイツでは風刺画や率直な批判記事を発表することを差し控えるようになったと言えよう。
  事態が漸く沈静化した2006年の9月には前教皇ベネディクト16世がドイツを訪問した。欧米各国のマスコミ、特にドイツではベネディクト16世の姿勢を「保守反動」、「時代逆行」と決めつけ、嫌悪感を慢性的に煽り立てたことについては、「ヴァチカンの道」誌 66号68号などで報告した通りである。
怨念の情は教皇が引退して静かな祷りの生活に専念している現在に到る迄続いている。
  ベネディクト16世は故国訪問に際してかつて教鞭を取っていたレーゲンスブルク大学で講演し、東ローマ帝国皇帝の言葉を引用して宗教を暴力により強制することの危険性を指摘した
。ところが教皇の国際的な名声を陥れる好機を日頃から狙っていたマスコミ関係者は、この講話を傍受すると直ちに「教皇はイスラム教を暴力宗教として非難した!」と一斉に報道したのである。これを知ったイスラム教諸国では教皇に対する怒りの大暴動が起こり、町の広場では教皇を模った人形が焼かれたり、トルコ在住の修道女が報復として惨殺されたなどのニュースが世界中に報道された。しかしマスコミ関係者は「平和なイスラム教徒の心を傷つけた。」として教皇に事態の責任を負わせようとしたのであった。教皇は各所で頻発していた過激なイスラム教徒のテロ行為を念頭に置き、講演を通じて暴力で宗教を強制することの危険性を警告したかったのである。マスコミの偏向報道に煽られた世論はその真意を理解せずに、ベネディクト16世に「不寛容なキリスト教原理主義者」というレッテルを貼り付ける結果になってしまった。この時、荒れ狂った大衆とは異なり、イスラム教の学者数名が教皇の発言に注目し、これを真面目に受け止めようとしたことをマスコミは全く黙殺したのであった。
  この事件以来、ドイツではイスラム教関係の報道には異常なまでに神経を使うようになった。イスラム教の本質がキリスト教とは異なることを指摘し、両者の対話の難しさを公言した者は直ちに左翼系政治家やこれを支持する市民団体、それにマスコミから[外人排斥]「ネオ・ナチ!」[民主主義の敵]などの不名誉な言葉で激しく非難されるために、健全な言論と発言の自由が制限されているのではないかと憂慮する声が良識的な市民間で次第に広がっている。マスコミ関係者はイスラム教徒の神経を逆なですると後が怖いという心理で怯えている反面、キリスト教、特にカトリック教会と教皇に対する批判、誹謗・中傷などは、たとえ人格そのものを深く傷つける内容や事実に即していない報道であっても言論と表現の自由を根拠に完全に野放し状態である。この風潮に異議を唱えることは極めて困難である。
  このようなドイツ社会とは異なり、公共の場での宗教的な事物を全て排除するフランスではある特定の宗教だけに特別な配慮をすることは一切ない。学校などではイスラム教徒の少女が被るスカーフは勿論のこと、カトリック信徒の生徒がかける十字架のネックレスも男子ユダヤ教徒が被る帽子キッパーも禁止である。このような社会で今回のテロ事件の舞台となったシャルリー・エブド社は、カトリック教会に対しても容赦なく強烈な批判を込めた諷刺画を発表していた。フランス司教団はこれを名誉棄損として過去に数回、訴訟を起こしたことがあるが、「表現の自由」を論拠にその都度敗訴の憂き目にあっていた。勿論イスラム教に対しても同社は何度も各種の諷刺画を出しては非難と怒りの声を浴びて、事務所に火炎瓶を投げ込まれたりしたこともあった。しかし暴力や脅迫を顧みず、またもや挑発的な諷刺画を発表したために、ついに過激イスラム教徒のテロ行為という悲惨な事態を招いたわけである。それにもかかわらず同社の責任者は言論、出版の自由のもとに「全てが許される」と断言し、今後も全ての宗教を容赦なく批判する方針を貫くと言明し、既に実行している。このような態度を真に勇気ある態度として称賛するか、或いは大胆不敵、傲慢として批判するべきか、人によって意見の分かれるところであろう。


[私たちは皆、シャルリー!(Nous sommes tous Charlie)について

  欧米は勿論のこと日本の新聞論調は「全ては自由!」のスローガンを掲げた大デモ行進に参加した人々に称賛の声を惜しまなかったが、ここで筆者が心理的な違和感に駆られたことは最初に書いた通りである。
  そんな矢先にドイツの2人のカトリック・ジャーナリスト及びチェコのあるカトリック司祭がほぼ同時期に「我々はシャルリーではない。Wir sind nicht Charlie」という記事を発表した
。この3人は事件の犠牲者全員に心からの哀悼の意を表明したが、殺された風刺画家を「自由の殉教者」として熱狂的に賛美し、英雄視する風潮に疑問を呈したのである。他者への配慮、自由に伴う責任など良識ある人間としての節度を欠いた一方的な自由賛美の声になんらの疑問も抱かず、「私たちは皆、シャルリー!」、「全てが許される」のかけ声にいとも簡単にたなびいたフランス社会とマスコミの風潮を公然と批判したのは、初めてのことであろう。他人の心理や精神を傷つけ、宗教を冒涜、侮辱しても全ては言論と表現の自由であると叫ぶCharlie組やこれを熱狂的に支持した多数派社会と精神的に歩調を合わせることはできない、というこの3人の主張は勇気ある発言であると言いたい。これまで事態を静観していた教皇フランシスコも1月15日には「無制限の自由はない。宗教の尊厳性を侮るようなことをするべきではない。」と釘をさした
  これは「言論・表現・芸術の自由」の語を掲げたデモ参加者やこれに陶酔したマスコミへの警告の声であろう。しかしマスコミは教皇の発言を黙殺し、殆ど報道しなかった。


宗教批判、風刺、冒涜に対してどのように対処するべきか。

  しかし筆者は今回の事件で新聞に寄せられた無数の投書や専門家の論評などを読むうちに、ある特定の宗教や政治団体などへの配慮を重視することには一つの大きな落とし穴があることに気付いた。宗教団体やその指導者への誹謗・中傷、批判を控えれば、当事者からは歓迎されるであろう。しかし怒りや報復を恐れて書きたいことも書けず、全てを自粛するようなことでは対話や批判、反論などを通じて展開される知的な文化は醸成されないであろう。それではある宗教や団体が批判、中傷されたと感じた場合に関係者はどのように対応するべきであろうか。
  1月8日付朝日新聞は[宗教は風刺を受け入れるべき]というサルマン・ルシュディの主張を掲載した
。ルシュディ氏自身がイスラム教を批判した著作[悪魔の詩]のために命を狙われていることは周知の事実である。1月10日付の当地の新聞 Frankfurter Allgemeine 紙もカトリック教会とイスラム教徒は世俗社会の諸要求を全て受け入れてこれに従うべきだ、というルシュディの意見に類似した論説を掲載した。このように「宗教は一般社会の要求に従うべし」という意見は世間の大半を占めている。一例として非キリスト教化が果てしなく進むヨーロッパの社会では民主主義と人権思想を根拠にして、カトリック教会に女性司祭の導入、司祭の独身制廃止、信徒による司教選任などの諸要求が叩きつけられている。最近ではキリスト教の教義自体を変更せよ、という要求までも公然と出ており、これを率先して支持する司教すら数人いるのである。これらの要求を受諾しないカトリック教会は「時代遅れな差別団体」として手厳しく批判されている。しかしこれらの批判や要求に応じることは、教会が教会であることを放棄したにも等しい。批判は常に正しいという論理に惑わされてはならない。宗教界は今後ますます批判、攻撃、誹謗、中傷、風刺の対象にされるであろうが、宗教は付和雷同の世界ではないことを肝に念じなければいけないであろう。またテロリストの報復を恐れて単なる自粛を呼びかけたり、彼等に阿るなどの対応は、その場限りの安直な解決でしかないし、臆病な社会を助長するだけである。
  そこで色々と考えた結果、次のような結論に到達した。要するに言論・表現・芸術の自由を濫用した宗教批判や冒涜などは倫理的には好ましくないし、当事者にとっては極めて不快であるが、これを法律的に禁止することは出来ない、ということである。何故なら一つの作品を宗教風刺、冒涜と見做すか否かの判断基準は各人により異なるからである。同時に宗教に対する不当な批判、誹謗、冒涜などに対して抗議する自由も当然の権利である。この場合、抗議として用いられる唯一の武器は言葉のみである。そのためにはいかなる挑発、批判、風刺などに対しても論理的に反論できる実力を養うことが必要であろう。言葉による反論、またこれに対する再反論の自由を保証することこそが複数の宗教や思想、文化がひしめく現代社会において相互の寛容の精神を育む土台となるに違いない。残念ながらこの精神が最近では危機にさらされているという印象を受ける人は多い。
  また無責任、悪意に満ちた批判、風刺などに対しては「この程度の理解と認識しかないのか!」として完全に無視するだけの精神的なゆとりも望ましい。
  いずれにしても低級、低質な記事には動揺しないように鍛錬しなければいけないであろう。今回の雑誌社襲撃事件は、意地の悪い批判や風刺などの日常化している西欧社会の荒波にもまれることがなかったイスラム教徒がこの点で全くの無菌状態であったことを物語っているように思えてならない。最終的にはテロ行為で相手を威嚇するという最悪の手段を取ったが、これは自らの対話能力の無さを語る敗北宣言でしかないであろう。議論や討論を重視してきた欧米社会の伝統はイスラム教の社会に欠如しており、また自由に溺れた欧米社会自身もこの伝統を忘れ、彼等の抗議を侮蔑的に見下すだけであったことが今回の悲劇を招いたのではないか、と筆者は考えている。


[言論、表現、意見の自由]を叫んだデモの意外な結末

  さて意外だったのは、あれだけ「自由!自由!」と官民挙って叫んだデモが一段落したとたんに、欧米各国ではイスラム教に対する一種の自主規制を行うようになったことである。それも偏向した自主規制である。例えばフランス各地で予定されていた映画「L`Apôtre キリストの使徒」の上映が今回のテロ事件の後に市当局の政治力で禁止されたのである。キリスト教に改宗した元イスラム教徒と家族との心理的な葛藤を描いたこの映画(2014年制作)はイスラム教徒の怒りを買い、問題を起こす可能性があるから、というのが理由である。「この作品は一方的にキリスト教を宣伝して、イスラム教を中傷するものではない。両者が議論の種にすることを期待する。」と言った映画監督の願いは無視されたわけである。ところがイスラム教に改宗した元キリスト教徒を描いた映画 「„Qu'Allah bénisse la France“ .アラーよ、フランスを守りたまえ。」は、問題なく各映画館での上映が認められたのである。この偏った処置に対する批判を避けるためであろうか、ドイツの一般新聞は本件について一切、報道しなかった。
  次いでドイツにおいて滑稽とも言えるほどの臆病ぶりを見せたのは、マインツのカーニヴァル行列の山車に予定されていたイスラム教のテロリスト風刺の人形が「心配もなく平和のうちに楽しくカーニヴァルを祝えるため。」という尤もらしい理由をつけて、抗議が来る前に一方的に中止されたことである。さすがにフランクフルター・アルゲマイネ紙2015年1月30日付はこの事態を「テロリストの勝利」と酷評した。また北ドイツの古都ブラウンシュワイクでも市の決定によりカーニヴァルの大行列取止めが発表された。テロリストによる脅迫があったので、万一の事態を考慮して行列中止を命令したとのことである。安全のために取ったこの処置を批判することは決して出来ないが、社会はテロの脅威に屈服した、という声が出たのは無理もないことであろう。
  筆者が述べた上述の事態は欧米社会がイスラム・テロリストの報復をいかに恐れているか、という心理を語ると同時に、西欧社会の精神的な基礎を形成してきたキリスト教文化に対する確信と、伝統的な討論の文化が喪失したことを表していると言えるだろう。僅か数週間前にはあれほどまでに「テロに屈するな!」、「言論・表現・芸術の自由を!」「全てが許される!」などと市民を率先して声高に町中を練り歩いた政治家やこれに熱狂的に歓呼した一般市民は今、一体なにを考えているのであろうか? あのデモは筆者が想像したように大衆心理に操られた一種のお祭り騒ぎに過ぎなかったのかもしれない。その反面、カトリック教会に対しては「自由」を根拠に極めてどぎつい諷刺記事が氾濫しているという矛盾ぶりは理解に苦しむことである。
  本稿の下書きを一応終えた2月14日、コペンハーゲンでは「表現の自由と宗教批判」を巡って討論会を行なっていた文化センターがイスラム教テロリストに襲撃され、またもや犠牲者や怪我人を出すという事件が起こった。この種の事件は今後も各地で頻発することであろう。パリのテロ事件を契機にこれからの世界は宗教観や世界観を巡り、全く共通基盤の無い者同士で自由とその限界などについて大いに活発な論争が展開されるであろうと期待していたが、それは余りにも儚い希望だったようである。市民の今後の反応と対応を注意深く観察して行きたいものである。


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本件についての詳細はYou tubeで見ることが出来る
https://www.youtube.com/watch?v=SwEtRp4Yejk


http://www.kath.net/news/48953
http://www.kath.net/news/48954
http://www.kath.net/news/48997
Frankfurter Allgemeine紙1月17日付にも同様の記事紹介。


http://www.kath.net/news/49026
及びFrankfurter Allgemeine紙2015年1月16日付


http://www.huffingtonpost.jp/2015/01/08/salman-rushdie-charliehebdo_n_6435084.html

⑤及び⑥
http://www.kath.net/news/49261
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