私は第2ヴァチカン公会議開始(1962年)の2年前1960年に洗礼を受け、終了(1965年)から17年後の1982年に転勤となり1990年にさいたま教区の教会に移籍した。
そして2005年7月31日のカトリック新聞「声」に掲載された私の声が取り持つご縁で「ヴァチカンの道」と「憂慮する会」の仲間に入れて頂いたことから色々なことを知り、学んだ。正に目から鱗の様なものが落ちる思い(使徒言行録9章18節)であった。
受洗当時の信徒は当然ながらラテン語の祈りとラテン語聖歌の美しいミサに馴染んでいたし、終了以降もまだ幾らか親しまれていて、私もその美しさに惹かれ幾らか馴染めるようになっていた。
ところがさいたま教区に落ち着いて様々な場面に出会って驚き、そのことが切っ掛けとなって学ぶことも多くなった。私の転勤はたまたまカトリック教会が第2ヴァチカン公会議が指し示す刷新に振れていた時期だった様だ。以下にその驚いた事例を幾つか列記し、考察と学んだことを書き添えてみたい。
以下 公会議とは第二ヴァチカン公会議を、カテキズムとはカトリック教会のカテキズムを、公文書とは第二バチカン公会議公文書改訂公式訳を指す。
【1】 ミサ中に足組み腕組みのT神父
移籍した当時は木造、畳敷きの小さな教会だったが信徒数増加を見込んで聖堂が建替えられ1999年12月12日に献堂式が行われた。岡田武夫司教司式によるその献堂式で私は大変驚いた。来賓席最前列中央に腰掛けておられるT神父様が茶色いズボンにカジュアルなグレーの上着のボタンは全て外したまま、ミサの間中足組み腕組みだったのだ。敬虔な姿勢とはほど遠く、ミサの荘厳、霊性、品位を傷付ける姿であった。広報担当カメラマンの腕章を付けていた私の撮影記録にそれは残っている。
その献堂式の半年後にそのT神父様がさいたま教区長司教となられたのであった。神学生時代に当教会に滞在しておれれた関係もあって皆さんが喜んだのは当然である。T司教は教区長として積極的且つにこやかに教区をリードなされたのであるが、修養に乏しい私はどうも従順な心では付いて行けなかった。
《考察》 あの姿勢は神には失礼、会衆にはエチケット無視。でもそんなことを気にするようではいけないのだろう。
《学んだこと》 “人の振り見て我が振り直せ”
【2】 ライブさながらのT司教ミサ
例えば2007年9月17日に文化会館で開催推された「さいたま教区大会」におけるT司教司式の司教ミサではフィリピン、ベトナムその他の外国人も多く、祭壇上でオルガンではなくグランドピアノ、ギター、ドラム、カスタネット、ギュロ等のリズム楽器と聖歌隊がライブさながらに強烈な音響を放つのであった。そして聖体拝領の最中には会衆からあろうことか拍手までがわき起こったのである。 これの練習で場内はミサが始まる前にも強烈な音響に包まれていて祈りの準備ができる静寂などは全く無かった。更に祭壇中央に十字架が見当たらないので私が会場係員に「十字架は?」と確認したら「入場の時に持って行くと思います」とのこと。確かに祭壇上に小さな十字架が置かれた様だが注意して見ないと気付かない。中央に高々と掲げられていたのはこの大会の大きな看板だった。そしてT司教の説教は御自分の叙階の思い出話やさいたま教区の歴史回顧談であって、例によって聖書から摂られた話は全く無かった。これがT司教流の演奏会風ミサなのである。私はこういうミサにはついて行けない。
《考察》 あの強烈な音楽があの民族にとってはミサの荘厳、霊性、品位に最も相応しい音楽なのかもしれない。それともT司教があの様な賑々しいミサを推奨しているのだろうか? いずれにせよ私自身はこのようなミサではイエスの犠牲を記念して祈る気持ちにはとてもなれない。
当教会のアジア系信徒の皆さんは日本の聖歌にも馴染んでいて何の問題もない。
典礼憲章38項(地域への順応)は「それぞれの民族への適応の余地が残されねばならない」としているが、複数の民族が一緒にミサを捧げる場合にどうすべきかを述べてない。私は、だからこそ世界中が移民問題で大きく揺れて来た現在、ラテン語ミサを大切にすべきと考える。典礼憲章の重要性を噛みしめている。
《学んだこと》 私は典礼憲章の有り難さを学んだ。典礼憲章116項「グレゴリオ聖歌は典礼行為において聖歌のなかで首位を占めるべきである」、同120項「オルガンは心を神と天上へと強く高揚させる伝統的楽器として大いに尊敬されねばならない」、同121項「作曲と作詞は真に教会音楽の特徴を備える様になされなければならない」、典礼憲章35項「説教は何よりも聖書と典礼の源泉をよりどころとすべきである」。
【3】 禁煙無視の聖職の方々
浦和明の星学園(女子校)の講堂で司教ミサが行われた時のこと、校内禁煙なのに司祭控え室でT司教様ほか神父様方が接待担当婦人達の制止を無視してポケットから携帯用灰皿を取り出して喫煙なさったという。
《考察》 「これくらい良いだろう」とのお考えと推察されるが、公徳心を疑う。
《学んだこと》 素直な心になるのが何と難しいことか!
私はタバコはやらないが自分ももっと素直な心を心掛けよう。
【4】 神子さんから尤もなご質問
2010年6月27日(日)のミサ直後、見知らぬ一人の若い女性が私に近付いて「神父様に会いたい」と仰る。用件を尋ねると「私は近くの神社の神子です。カトリックは神社に無礼ですよね。何故ですか? 神父様にお尋ねしたい」とのことであった。私はなるほどと思って「神父様は今は忙しいのでご紹介できませんが」とお断りした上で私から、その様な誤解はご尤もであること、私自身は何回か靖国参拝していること、ヴァチカンは神道を尊重していること等を取り敢えず説明してあげた。そして住所をお聞きして手紙を差し上げることを約束して引き下がって頂いたのであった。後日その手紙(重光メモNO.223 2010-6-29)に対する丁重な礼状を頂き理解を得られたご様子であった。年賀状まで頂き大変嬉しかった。
差し上げた手紙に書いたことは、「現代世界憲章」28項(他の宗教の尊重)、マッカーサーへのブルーノ・ビッテル神父の進言(靖国を焼き払ってはいけません)等々である。
因みに2005年7月カトリック司教協議会発行「非暴力による平和への道」には“靖国神社参拝を儀礼とすることには、信教の自由と政教分離の危機、つまり国家と靖国神社の深いつながりが隠れている”などと書いてある。また昭和天皇の大喪の礼に際しては教皇庁からオッディ枢機卿と駐日カール大使が参列なさり弔意を表わしたのに、日本の司教団は司教団声明(1989-1-7)「天皇のご逝去に際して」の第2項で「日曜日のミサを追悼ミサにしたり、特別の行事をしたり、政府、自治体、地域、各種団体などの行事にカトリック教会として名を連ねたりしないことが望ましい」というお布令を出したのである。だから、日本のカトリック教会の神道に対するこの様な無礼と冷たさは知る人はよく知っているのである。
《考察》 カトリック教会のこの様な出版や声明は事務局に任され、責任者たる司教のチェック不十分のまま素通り同然なのではないかと考えざるを得ない。そうではなくもしこれが司教の本心だとしたら悲しくなる。
《学んだこと》 一般社会に与えている深い疑念を払拭しない限り布教は伸びない。
【5】 私が集計したカトリック新聞の偏向度
私は洗礼を受けて以来45年間カトリック新聞(カトリック中央協議会発行)を読んだことがなかったが2005年4月3日付(3806号)から定期購読を始めた。そこで驚いたのが左傾化した政治的内容の多さであった。それでこの3806号から2008年9月28日付(3973号)まで約3年半のカトリック新聞(発行回数合計168回)について「記事」、「意見異見私見」、「告知板」に掲載された憲法第九条改正賛否に限定してその件数を記録して来た。(「声」は個人発表の場であって新聞社の姿勢を示す場ではないから除外した)。
その結果改正反対が58件(つまり10回の発行辺り改正反対=10×58/168=3.5件)、改正賛成はゼロだった。つまり九条改正反対偏向率100%であった。サンプルの大きさ168は可成り大きいから私のこの統計の信頼性は高い筈である。因みに当時の世論調査結果では九条改正反対41%、賛成28%、どちらとも言えない26%、分らない5%(「放送研究と調査」2007年12月号NHK)である。司教団が如何に偏向しているかが分る。
この他に国民投票法案反対、教育基本法改正反対、日米安保批判、自衛隊イラク派遣反対、等々の反対論や慰安婦問題が非常に多かったことは周知の通りである。こうした中で私の目についた賛成論は、2006年6月11日の「意見異見私見」に「子どもに添え木を」と題して愛国心の重要性を説いた教育基本法改正賛成論の1件(信徒)だけであった。
北朝鮮に拉致されている人たち及びその家族への慰めと励ましの言葉や北朝鮮のこうした国家的非人道テロ行為に対する記述は皆無であった。 以上は2008年9月28日付までの168回にわたる古い集計ではあるが、カトリック新聞と司教団が完全に左傾偏向していることを明確に示している。
序でながら、2005年4月3日付(3806号)から2007年9月23日付(3924号)までの約2年半の「意見異見私見」全117回の個人別登場回数を集計した。最多はS氏の19回、第二位がM司教の9回でお二人合計で24%を占めていた。「異見」尊重と謳いながらお二人に対する異見は前出の「愛国心」1件だけだった。この偏向振りを編集部に手紙で問うたけれど返事は無かった。無視された訳である。
だから私は購読を解約しカトリック新聞オンラインで見ているだけなのでこの新聞の現状を詳しくは知らない。でも司教団のこの様な政治的言動はその後も続いている。
「さいたま教区正義と平和協議会」(愛唱「ロバの会」 会長T司教 当時)が発行している「ロバの耳」という会報がある。これは少なくともT教区長時代までは政治的または社会的活動の色彩濃厚であった。この「ロバの耳」54号(2006年5月)には「ロバの会の仲間N氏が終身助祭に叙階 同氏は日本カトリック正義と平和協議会秘書であるとともにロバの会事務局長です」と誇らしげに書いてある。
ミサの前に署名用紙が巡って来たこともある。ロバの会の健在振りを感じた。それは2013年11月23日に浦和明の星学園で行われた「さいたま教区大会」のときだった。このときのミサはT司教が教区長辞任(2013年7月27日付)後最初の司教ミサであってさいたま教区管理者岡田武夫大司教司式であった。このミサが始まる前に会場内に集団的自衛権行使反対(九条の会)の署名用紙が巡ってきたのである。ミサの場を利用した明らかな政治活動である。
《考察》 聖職者は本務に専念しつつ、この様な行動にも常に監視していて欲しい。
《学んだこと》 カテキズム2442項「政治体制の構築や社会生活の組織づくりに直接に介入することは、教会の司牧者の任務ではない。この任務は信徒の召命の分野であり、信徒は自らの発意でそれを果たさねばならない」、現代世界憲章76項「教会と政治共同体とは決して混同されてはならない。教会はどの様な政治体制にも拘束されてはならない」
【6】 T司教さいたま教区長を辞任
2013年7月28日(日)のカトリック新聞オンラインが次の様に伝えた。突然のことで私は驚いた。
ヴァチカンは2013年7月27日に「教皇フランシスコは、さいたま教区のT司教(60)が教会法401条2項に従って提出した退任願いを受理した」 と発表した。教皇は同時に、東京教区の岡田武夫大司教を、さいたま教区の教区管理者に任命した。 教会法401条2項は、教区司教が健康を損なうか、または他の重大な理由により、司教の職務を続けることが困難になった場合、退任の意思表示を行うよう求める条項。
主日のこの日(2013-7-28)、当教会では次の二つの掲示が張り出されていた。その要点のみを以下に略記する。
〔掲示1〕
カトリックさいたま教区 事務局長 お知らせ
2013年7月27日 主の平和
突然のお知らせです。本日・・・辞任されました。・・・T司教の8月からの司牧訪問などの予定はすべてキャンセルとなります。今後の予定は教区管理者岡田大司教とご相談して決めます。・・・・辞任の挨拶の手紙(→掲示2)を併せて送ります。
〔掲示2〕
さいたま教区の兄弟姉妹の皆様 主の平和
私は・・・辞任することになりました。これからは一司教として教会のために奉仕して行きたいと思います。私は8月から1年間のサバティカル(休暇)をとることが教皇に許されました。1年後には司教協議会の仕事をお手伝いさせていただければと考えています。・・・・。
2013年7月27日 司教 T 署名
これを読んで皆は「お元気だったのにどうなさったのだろう、何故?」と驚くばかりだった。つまり計画中のさいたま教区大会その他について何のご指示もなさらず、管轄下の教区を放置したまま辞任して休暇にお入りになったことの無責任、指揮官を失った迷いと寂しさを多くの信徒が感じたのである。
《考察》 T司教は教会法401条2項によって退任の意思表示を求められたことになる。お元気だったのだから何かがあったことになる。不思議である。
《学んだこと》 こういう不思議も寛い心で受け入れねばならないことを学んだ。
【7】 T司教の近況
2015年正月、当教会に次の二つのペイパーが並んで張り出された。その内容を以下に略記する。
〔ペイパー1〕
主のご降誕をお慶び申し上げます 皆様、如何お過ごしでしょうか。私は元気にしています。私は1年のサバティカルを終わって2014年9月から那覇教区の宣教司牧のお手伝い、沖縄の基地問題や社会問題に取り組んでゆくことにしました。沖縄でもたくさんの仲間ができ、共に喜び、共に涙を流しながら歩んでいます。
現在は普天間教会内の小さな家に住んでいます。週に二日はテニスをして、シスターや若い司祭と汗を流しています。朝夕、オスプレイが頭上を飛び交うなか愛犬「角琉」と散歩しています。・・・・お声をかけて下されば戦跡巡り、基地巡り、辺野古案内だけでなく美しい海などもご案内させて頂きます。・・・ 2014年12月24日 さいたま教区名誉司教 T(自署)
〔ペイパー2〕
旅行案内
見て、聞いて、体験しよう!
さいたま教区 わかもの沖縄体験ツアー 2015-3-25(水)〜28(土)
対 象:高校生(15歳)以上 先着15名まで
内 容:現地体験学習など
宿泊先き:聖クララ修道院祈りの家(島尻郡 与那原町)
問い合せ:カトリック高崎教会
引率者 :○○(群馬西ブロック)他
主 催:さいたま教区正義と平和協議会(ロバの会)
さいたま教区子どもの信仰教育委員会
※詳細は決定次第お知らせします。

オスプレイの写真 名護市辺野古沖の写真
《考察》 T名誉司教は沖縄で思う存分に政治的言動に励んでおられる様に読み取れる。ロバの会主催のこの沖縄体験ツアーにもお顔をお出しになることだろう。
《学んだこと》称号“名誉”が付くことを学んだ。
【むすび】
上述の如く司教団にはカテキズム違反言動が非常に多い。そのことが布教の妨げになっている筈だ。しかも 教会費は政治献金ではない! だから私は教会にも罰則規定が必要ではないかと考え込んだことがある。しかし深く考えてみると、罰則規定の運用には疑いの目が伴う。だから訴えると言う邪心(粗探し)が信徒に芽生えるだろう。そうなれば信頼を前提に成り立つ信仰とミサに霞が漂うことになる。そんなことになってはならない。だからやはり罰則規定は有ってはならない。カテキズム他によるヴァチカンのお導きと監督に信頼しよう。これからも信徒が声をあげることの重要性は変わらない。
ところで当教会では今年の復活祭ミサで50年振りにグレゴリオ聖歌(カトリック聖歌集265〜268頁グロリア)を会衆全員で歌うべく練習中である。
(おわり) |